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 那波の町並みは赤穂街道にそって形成されており、その地理的な特徴から中世には矢野荘の外港として栄えた。
矢野荘は東寺の荘園であったため年々大量の米や麦などの年貢が貢納された。
その積み出し港であった那波浦は海上交通が発達し、商業も盛んであった。
古い街道沿いには多くの商家が並んでいた。その町並みの面影は今も比較的残っている。





ポカポカ・チンチンの石(ゆっくり乾杯)
-東山嘉事作-
 「’99西播磨彫刻シンポジウム in aioi」 の時に設置
みずべのさんぽみち       マップはこちら
相生湾周辺に位置する護岸・歩道・川べりを周回・散策ができる遊歩道市街地でありながら干潟、シバナ群落、またペーロン城、中央公園、大島山、苧谷川、石彫など自然と身近に親しめる場所が多く点在している。総延長4.0 Km
田中家
那波浦が東寺領矢野荘の外港として栄えた頃、商品を扱う問屋であった
今は埋め立てられてしまっているがその頃の港は田中家すぐ傍まであり船は傍までつけることができた
(写真は田中家ご好意により神崎与五郎の直筆の掛け軸を拝見させてもらっている(下)
神崎与五郎由来の孝行井戸
赤穂浪士四十七士の一人である神崎与五郎の母親が目の病になった。お告げとおりこの井戸で母親の目洗うと、病が治ったと言う
荒神社(豆煎り荒神)
<豆煎り荒神にまつわる話し>
徳川家光の頃、大飢饉と悪疫の流行があり、那波の里人も食べるものが無く大いに苦しんだ。庄屋の米が盗まれたりした中、(話の主人公)孫七は盗人の集団には入らず、この荒神さんにひたすらお祈りした。岡田家の長老が自分の蔵にある豆を村人に与えることになり、ほうらくで煎った豆を村人に分けてくれたが、孫七が家に帰ったときには、お母さんと弟の弥助は死んでいた。
孫七は荒神山の見える小高い丘に、お母さんと弥助の墓を作り、自分は煎り豆を一つも食べずに墓に供えた。次の日、墓に行くと煎り豆から芽が出ていた
那波八幡神社
1186年大島山に城をかまえる海老名家の武運長久を祈り建立された。当時の建物は安静年間の火災により宝物を含め大半は焼失した。現在の社殿は1782年に再建されたものである。武芸の神、八幡神に戦勝する絵馬が奉納されています。戦時標準船の絵馬や忠臣蔵を題材にした絵馬もある。
110 忠魂碑
靖国神社を頂点とする国家神道で、津々浦々に建設されたのが忠魂碑です。戦後多くが取り壊されましたが、西播の忠魂碑は残こった。
11 横尾家住宅
元播磨造船社長宅
13 室井清澄先生の碑(明治20年)
室井清澄
上土井生まれ、那波において医者を開業、また村童に漢籍、和歌を教える。その功績により森公より太刀を与えられる。河本春友に師事し杏軒と号する。
14 那波大避神社
秦河勝ゆかりの神社